息をするのでも必死だ

25歳OLの日常です。生きてるのが最近必死になりました。

2020.9.14 生きることは息することだけど

こんにちは。初めまして。

岡田 晴(ハレ)と申します。

 

25歳のOLで普段は一人暮らしをしています。

このブログでは自分のことを客観的に見つつ、自分が思ったことを書いていく自己満なブログになるので見かけた方は温かい目で見ていただけたら嬉しいです。

 

私は昔から自己肯定感が低く、周りの目をチラチラ見ながら生活しています。

八方美人な性格であるので周りの評価、目、言動などが凄く気になりそれが自分への評価だと思っております。

 

なぜ私がこの様な性格になったかと言いますと瞬間湯沸かし器のような父が原因だったかと思います。

父は怒りの沸点が低く、自分の非を認めない性格でした。気に入らない事があると母や娘の私にあたることも多く昔はよく叩かれたりもしました。その父のご機嫌伺いをよくし、チラチラと人の顔をよく見るようになりました。

こういうことを書くと私の父が酷い人間に思う方が多数なので一言添えますと、父は本来は情に熱い人間で人の痛みもわかっている人間です。なので父は悪い人間ではないということだけ分かっていただければ幸いです。

 

このブログのテーマでもある「死にたい」なのですが、何故私が25年間生きて、よく「死にたい」と思うのかを客観的に見ていきたいと思います。

 

私の「死にたい」は突発的に起こります。

 

・自分を否定された

・周りの目が怖く極度のストレス状態に陥った時

・仕事を失敗してしまった

・好きな人、友人に怒られた

 

このパターンが起こったときに

「私の価値観」

と言うのに疑問を抱き、急に涙が出て「死にたい」「消えたい」と思う事があります。

 

全てに共通することは私は「プライドが高い」と言うことです。

 

私を作ってるものとしては1番はプライドになります。

 

周りの目を気にするのも、目が怖くなるのも全てプライドと見栄、自己評価から来るものです。

 

自分でも大袈裟なプライドは自分の首を絞めるものだと思う反面、ある程度は必要だと思うのですが私の場合は「認められたい」「否定されたくない」「褒められたい」「すごいと言われたい」という人間の欲の塊のようなプライドでありそれが自分の息をし辛くする原因でもあります。

 

それがわかってるのに何故そのプライドを捨てないの?と思う方が多いかもしれませんがそんなの捨てられたらとっくに捨ててるわ!と思います。25年もこうやって生きて生きて「じゃあ明日からプライドなんか捨てて生きるね!」というほど単純ではないのです。

 

 

私の場合は突発的に「死にたい」がやってきます。

まるで休みの日にゆっくり部屋で寛いでいたら「こんにちは!遊ぼう!」と急にやってくる「死にたい」という迷惑な友達。

私は意志が弱いからその友達がやってくると脳内が麻痺してしまい「死にたい」に脳内が侵食されます。

そして暫くすると「死にたい」は飽きたのかふとした瞬間に自分の家へ帰るのです。

 

「死にたい」が帰ると私は涙を流しながら「一体なんだったのか」と我に帰ります。

 

 

「死にたい」がくると私の頭の中はごちゃごちゃになります。そして私の存在価値というものにフォーカスを当て考え始めます。

 

・愛されたい人に愛されない人生を送っていても意味がない

・周りの目が怖く噂をされていて怖い

・皆私のことを嫌いになるのではないか

・1番嫌なのは死にたいと思っている自分が嫌

 

等、被害妄想甚だしい考えに陥って大泣きするわけです。

 

実際私は今、職場で心のない噂を流されており生きづらいなと思う事があります。

表面では「普通に接してくる先輩、同僚、後輩」でも裏では何を思ってるかはわかりません。

急にそっけなくなったと感じる人もいますし、わざわざ私に「噂流れてるよ!」と余計な報告をしながらもその人が広めてる…なんて人もいます。

 

その時は「はあ、で?」と思うのですが後々それが怖くなり八方美人の私は「嫌われたくない」と思って考えすぎるのです。

 

そういうのがあるので会社では生き辛いと思います。

 

今これを客観的に見てみたら自分の悪い箇所を直す努力はあまりしてないように感じました。直す努力は難しいですね、、

 

 

これを書いていてすっかり「死にたい」気持ちが帰ってくれましたがまたいつやってくるかわかりません。

 

心療内科に行くべきかと感じてきました。

私はまだ心療内科が怖くて行けてないので近々通おうかと思っております。

 

 

今日はこの辺で。